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コラム(今月の言葉)|Column
コミュニティがほしい? その世界に、あなたが求めるものは。


コミュニティという言葉を最近聞くことが多いように思います。コミュニティという言葉の響きには、友好的で自分に好意を寄せている人々がいるというイメージでしょうか。いまは、スマホの中に、友好的で興味や関心を共有できるコミュニティのようなものが、つぎつぎと広がっています。

コミュニティとは、地域社会、あるいは共同体。また、ある文化や宗教、利害などを共有する集団という意味を持つ。いまは、国際的な連帯やネット上の仲間などにも、幅広く使われている言葉です。

最近よく耳にするのが、気に入ったインストラクターのトレーニングにzoomで参加したり、人気を集めているポッドキャストの番組を聴いたり、お気に入りのアイドルを推し活したりなどです。これらの活動も、コミュニティと言えますね。

いま、何故コミュニティが話題になり始めたのでしょう。今回は、これについてお話ししようと思います。



なんで今コミュニティなのか。


コロナから、人とのかかわり方も多様になり、仕事では対面で会う必要性も希薄になっています。オンラインでの会話だと、仕事について相手と話すことはできます。でも、雑談となると、相手と何を話せばよいのか、自分のプライベートを話す理由もないし、とりあえず表層的な会話でつながっているように感じてしまいます。

また、ハラスメントを含めコミュニケーションの取り方など、人との関係性が複雑になって、気軽に話すことが怖くなっています。必要なこと以外話すこともなくなって、人とのつながりが遠いものに感じますね。外の世界から、自分の身を守るのが精いっぱいになって、安心できる居場所がどこにもないと感じているのではないでしょうか。


たしかに朝の電車の中で周りの人々を見ると、みんな無表情で携帯をじっと眺めたまま乗っています。他者とはかかわりたくないし、何か起こったときに手を差し伸べたりしないように見えます。自分の世界の中から出ない、関わりたくない人たちが増えているのでしょうか。

誰かが助けを求めても、誰も面倒なことに関わりたくないという思いから、気づかないふりをして通り過ぎていく人も実際に多いことも事実です。もしかすると、自分もその中の一人になってしまうのだろうかとドキッとすることがあります。

そんな世界だから、人間らしく、自分を取りもどし、安心できる居場所を探したいのでしょう。それが“コミュニティ”につながっているのかもしれません。






コミュニティは、自分らしく居られる場所?! そう、人生をあなたらしく楽しむ場のことかもしれませんね。



楽しみの見つけ方


仕事の世界が、あなたにとって居心地の悪い場所と思えるのなら、そんな中で暮らしているのは辛いですね。人間はそもそも心地よいものを好むものです。人間なのですから。

無意識に携帯でSNSを開くと、知らないうちにあなたにとって心地よいと感じてしまう世界を”AI”が見せてくれます。

私の場合だと、Instagram, YouTube, TikTokなどで、柴犬のかわいい動画や、子猫の動画、世界の卓球動画、落語、ゆかいで面白い動画など、次から次へさまざまな世界を見せてくれます。つかの間ですが、心地よいひと時をもたらしてくれます。

でも、すぐに現実に戻されてしまいますよね。確かに一瞬癒されますが、ただの時間つぶしのようにも思えます。もっとゆったりと心から安心できる居場所が欲しいと私自身も感じます。



コミュニティを持ちたい


このような環境に生きているからこそ、日常の社会を意識しなくてよい、そして、たとえば、あなたと共通の興味関心を持った仲間と語り合うことや、あなたらしく“ノビノビできる場”という願望が、コミュニティの中で実現できると良いなと思いますね。

たしかに、コミュニティによって、ありたい自分を取りもどして、イキイキと生活をしたいものです。それを実現させるためにも、あなたが望むコミュニティについて、さらに理解を深めたいと思います。



「温かいサークル」の描く世界とは何か



スウェーデンの評論家であるゲーレン・ローゼンベルグは【2000年に『新国際通信』誌に掲載された小論の中で)「温かいサークル」という概念を提示した。

これはまさに、コミュニティと同じく、人間的な一体感の中に純粋に浸っている状態をとらえる概念で、かつてはおそらく人間の普通の状態であったのが、今日ではますます夢の中でしか得られなくなってきているものである。


この「温かいサークル」の中では、人間的な誠実さが示されるし、人々はそれを実際に当てにするが、それは「外部の社会の論理や、どんな経済的な費用対効果の分析に基づくものでもない。」そのことがまさに、そのサークルを「温かい」ものにしている。

すなわちそこには冷たい計算の余地もなければ、周囲の社会では「当然のこと」として冷徹に、無味乾燥に提示されることを機械的に学習する必要もない。何をするにしても、共感と助力を期待することができると述べている。


『コミュニティ 安全と自由の戦場』より



私たちは、友好的で気兼ねなく、心から安心していられる場所「温かいサークル」を求めているのかもしれません。かつての幼かった自分がそうだったように、ありのままの自分だったころの感覚をいとおしく思うように。



「温かいサークル」に求めること


振り返れば、私たち日本人は、戦後貧困だった。私たちは安心を手に入れるために働き、会社は安心を保証してきました。終身雇用です。“安心”を手に入れるために会社で働き続けてきました。その代償として、私たちは“自由”を犠牲にして働き続けてきたのかもしれない。自ら考えることを止めて、働き続けたのです。それが・・・



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